わたしはここにいるよ
昔「涼宮ハルヒの憂鬱」の本を読んで感じたこと。
わたしみたいに、この世界に不思議なことが何も起こらないのにごうをいやした
彼女が何を思ったから学校の校庭に巨大な、魔法陣を描いたと。
どこから得た知識だったか知らないが、それ自体の目的はむしろ
ナスカの地上絵みたいな目的だったかも知れない。つまり
「私はここにいる」
どうと言うことのない一文だが、宗教的には相当大きい問題でもある。
なぜならこれは
「神」宣言であるのだから。
旧約聖書の中でモーセの書のあたり、つまり出エジプト記のあたりに書かれてたと思う。
「わたしは、『ある』ものである」
神は自分の事を指して『ある』とだけ称した。
それが神の語源だとは思わないけど、その『ある』こそが
神としての宣言にあたる。ゆえに
涼宮ハルヒはそれを偶然見つけ実行し、少なくとも
この世界は彼女の思い通りになるものとなった。つまり「神」として君臨した。
なぜこの『ある』が、神を示すのだろうか。
それは、世界のあらゆる存在は、相互依存により自身の存在を維持するのである、
何物も単独で存在出来るものはない。
つまり何らかの条件やら因縁によって、それが存在しているという状態を示しているのみ。
しかし恐らくは世界の外にいる、この世界の因果律から独立している「神」は、
自ら単独で存在し得る。つまり「わたしはある」と宣言することは、
自分以外の原因に依らず、単独で存在出来る権能を示すことになる。
まあ
これも思いつきでしかないし、トンデモな解釈ではあろうが、
涼宮ハルヒが「私はここにいる」と描いた魔法陣だかストーンサークルだかが、
彼女をこの世界の「神」に仕立て上げた。
これがこの小説の作者の作為によるものかどうかは知らない。多分に宗教的な雰囲気のする作品ではあったが。
「わたしは、ここに、いる」
アーメン、主よ・・・
わたしみたいに、この世界に不思議なことが何も起こらないのにごうをいやした
彼女が何を思ったから学校の校庭に巨大な、魔法陣を描いたと。
どこから得た知識だったか知らないが、それ自体の目的はむしろ
ナスカの地上絵みたいな目的だったかも知れない。つまり
「私はここにいる」
どうと言うことのない一文だが、宗教的には相当大きい問題でもある。
なぜならこれは
「神」宣言であるのだから。
旧約聖書の中でモーセの書のあたり、つまり出エジプト記のあたりに書かれてたと思う。
「わたしは、『ある』ものである」
神は自分の事を指して『ある』とだけ称した。
それが神の語源だとは思わないけど、その『ある』こそが
神としての宣言にあたる。ゆえに
涼宮ハルヒはそれを偶然見つけ実行し、少なくとも
この世界は彼女の思い通りになるものとなった。つまり「神」として君臨した。
なぜこの『ある』が、神を示すのだろうか。
それは、世界のあらゆる存在は、相互依存により自身の存在を維持するのである、
何物も単独で存在出来るものはない。
つまり何らかの条件やら因縁によって、それが存在しているという状態を示しているのみ。
しかし恐らくは世界の外にいる、この世界の因果律から独立している「神」は、
自ら単独で存在し得る。つまり「わたしはある」と宣言することは、
自分以外の原因に依らず、単独で存在出来る権能を示すことになる。
まあ
これも思いつきでしかないし、トンデモな解釈ではあろうが、
涼宮ハルヒが「私はここにいる」と描いた魔法陣だかストーンサークルだかが、
彼女をこの世界の「神」に仕立て上げた。
これがこの小説の作者の作為によるものかどうかは知らない。多分に宗教的な雰囲気のする作品ではあったが。
「わたしは、ここに、いる」
アーメン、主よ・・・
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